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重野安繹タイトル

しげの やすつぐ
1827年~1910年。江戸時代末期~明治初期に活躍。漢学者・歴史家・日本初の文学博士。
薩摩国鹿児島郡坂元村出身。1864年には薩摩藩の藩校である造士館の講師を勤める。
31歳のときに同僚の金の使い込みにより遠島処分を受け、奄美大島の瀬戸内町阿木名へ6年間流罪を受ける。
その間、阿木名にて私塾を開き多くの優秀な人材を輩出する。
同じ頃、龍郷町に流罪となっていた西郷隆盛とは相互に行き交う仲であった。
※島妻(しまとぅじ=方言)との間に一女を儲ける。
(※島妻とは当時の制度として存在したもので、正妻ではなく、島滞在中だけの妻。西郷隆盛も愛加那という島妻がいた)

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